心にたかまさを宿していると思え
これは67405年前、歴史上最も有名である革命家「ココニン」が革命前夜に革命戦士に向かって放った言葉である。
この言葉は現在武の精神を重んじる柔道や剣道、空手道場等に必ずといっていいほど額縁に入れられて一番目立つ場所に飾られている。時代は違えど、この言葉の本質は変わらないことの証明だろう。
その昔萩原首相の誰の言葉も受け入れないスタイルの独裁的な政治体制に様々な民が苦しめられたとされている。
それを見て迷える民を従えるココニンはこう言った。(たかまさが誰を指しているのかは2023年未だ解読されていない。萩原首相とたかまさに関係性があると唱える研究者は多い。真相は不明。)
誰しもが心にたかまさを宿していると思え
前述した通りたかまさが何者なのかはわかっていないがこの怒りが込められた文章の始まり方から推測すると、かなりの数の民から迷惑者と思われていたことが容易に想像できる
【心技体】の技だけを鍛え
心技体とは、精神力の【心】、技術の【技】、体力の【体】の3つのバランスの状態だと私は推測する。これらの【技】だけを極める。それは残りの2つを疎かにするということ。もちろんそんなことをすれば心技体の三角形のバランスは確実に崩れることになる。この後崩れたらどうなるかがこの詞には綴られている。
内面が全く育たなかった結果
【心】【体】を無視し続けた結果「内面が育たない」とココニンは言っている。
生まれた悲しき怪物だ
(※ここほんま好き)
三角形のバランスが崩れた瞬間にそれ(怪物)は産まれると表現している。
普段間接的な表現しか使わない革命家ココニンがこんなにも大胆かつ直接的な表現をしたのは最初で最後だったという。
この文章からココニンは日頃から心技体の三角形のバランスをかなり尊重して生きていたことが伺える。
レジェンドだから偉そうにする
この時代のレジェンドがなにかは現時点で解析されていないが人の上に立つ権利的なものだったのだろうか。迷える人々を導く存在のことをレジェンドと言っていたのかもしれない。
その地位についた瞬間に偉そうにする。心技体が伴わない者が本来それになることはかなり難しいはずだが、何かの手違いでもあったのだろうか。
ランキングが高いから好き勝手暴れる
ランキングが高い=レジェンドなのだろうか、やはりこの時代のレジェンドは数が少ないことが分かる。実際に何位くらいの順位を持つ者がレジェンドになれたのか興味深い。
論理感と道徳心が完全に無くなった
普段から人々を導く立場にあったココニンがここまで明らかに人を見捨てる発言をしている。このフレーズに凄まじい怒りが込められていることがよくわかる。ココニンがここまでが言うたかまさとは一体どんな人物だったのだろうか。
やはり大昔から心技体は人間の基本なのかもしれない。
レジェンドプレイヤーたちは
ここからはたかまさから当時のレジェンド達への注意喚起のような内容に変化する。人を導く立場にいるココニンは他のレジェンドは心技体を忘れてほしく無いという強く訴えかけている姿が想像できる。
誰しもがああなる可能性はある🤔
心技体を忘れると怪物が産まれるという現実を目の当たりにしてきたココニンだからこそ言える言葉だろう。あえて最後に顔文字をつけることでこれまでの内容が心なしかマイルドになっている。読み手にも配慮した優しさが伝わってくる。流石ココニンといったところ。
この言葉は現代に生きている我々も忘れてはいけない。誰もが心技体の道を外れ怪物になる可能性がある。どんなに辛い道であっても己の信じる心技体を貫き通せ。
現実的な話は一切受け入れず、甘い話や甘やかしばかり受け入れるようになると、いつかは心技体のバランスが崩れtkmsになってしまうということを我々は忘れてはならない。
どんなに遅くてもいい、どんなに転んでもいい、どんなにかっこ悪くても己の道を見失ってはいけない。
誰もが心にたかまさを宿していると思え